雑文:冴えカノとエロマンガ先生の創作に対するシリアスさの違い、自分は?

冴えカノとエロマンガ先生、創作者の事を題材にしたすこしメタな物語というところで共通しているけど創作に対するスタンスが違うなー、と。
冴えカノは苦しんで生み出すけどエロマンガ先生はつらそうにしない。
命を削る/仕事としてやってるの違い。

自分は創作者とはおこがましくて言えないけど、まぁ、仕事でも趣味でも色々作ってる。

自分はどっち側なのか。

基本的には楽しいからやってるのであって命削ってる感覚はない。
あー、昔は合ったのかも。20代のころ。あのころは命削って生きてた。
年取ってあの頃の熱意はなくなったけれどアウトプットはそこそこコンスタントにできてる感覚ある。
一周した感じでなんとなく勘が効くというか。まぁ、自分の限界を知って限界の中でやってるだけって話もある。
今でもgithubにPRするのとかドキドキするし、音楽はいつも自分に不満だけど、なんか出来てしまったよね、自分っていう型とかスタイルみたいなものが。
どれも「自分だわ」っていう驚きのないのは確かだけど、それでもそれを好きと言ってくれる人もいて。
変な気負いもないし、なにより良き結婚していろいろ変わった。「あ、これでよいのか、人生って楽しんでよいのか。」みたいな感じ。人生観変わったのかも。

冴えカノは若さなのかな。若さなんだろうな。青春ですよ。
エロマンガ先生はあえてそいう描写をつらそうに書かないだけかも。

「創るのは苦しいけど基本的に楽しい」

エロマンガ先生は前作の流れで読み始めて惰性で読んでいてぶっちゃけいつ終わっても良い。
冴えカノはどこに着地するのかよくわかんないけど作者が実績のある完成させられる系のプロなのでどこかには落ち着かせるのでしょう。